ドーラの撮れたDay

漫画や小説の聖地巡礼と街歩きが大好きで、素敵な出会いを楽しみながら写真で綴っています。

報国寺・川端康成の散歩道

鎌倉の瑞泉寺から歩いて、二階堂にある報国寺に行きました。

建武元年(1334)に足利尊氏の祖父である、足利家時が創建したといわれる臨済宗建長寺派の寺で、足利氏・上杉氏の菩提寺でもあります。

開山は、五山文学でも活躍した天岸慧広(てんがんえこう)仏乗禅師。川端康成も報国寺近くに住んでいたことがあり、周辺をよく散歩していたそうです。

 

 

竹林が美しくミシュラン・グリーンガイドで三ツ星を獲得したこともあってか、多くの外国人観光客が訪れていました。では、山門から。

 

 

 

報国寺の山門「薬医門」。「薬医門」とは鎌倉時代末期か室町時代初期の武家や公家の屋敷などに見られる門の建築様式の名です。名の由来ははっきりしませんが、矢の攻撃を食い止める「矢食い(やぐい)」からきたという説があるとか。立派な門でした。

 

 

薬医門を入り本堂まで枯山水の庭園をながめつつ進みます。奥に見える太い樹木は、樹齢300年を超えるイチョウです。

 

 

本堂です。本尊・釈迦如来坐像は、南北朝時代の仏師・宅間法眼(たくまほうげん)作と伝わっています。

 

 

報国寺の竹は孟宗竹という品種で、約2000本あるそうです。

 

 

見上げると竹の葉の間からやわらかい光が降りそそぎ、竹林全体が風に揺られていました。マイナスイオンがたっぷりと。

 

 

川端康成の小説『山の音』では、鎌倉の谷戸(谷あい)に住む老いた男性が深夜に得体の知れない山の音を聞き、死の予告かと恐れます。山の音は鎌倉中の木々が共鳴する音だったかもしれません。

 

 

本堂の後ろ側につくられた枯山水。次回はさまざまな形を描く砂紋もゆっくり見ることにしましょう。

 

 

枯山水に乗り出すように咲く梅の花。

 


境内のお地蔵様は表情が豊かでした。右上遠くに見えるのは「やぐら」と呼ばれる横穴式墳墓で、足利家時と足利義久、その他足利一族の墓があるといわれます。永享の乱(1438年)で足利義久がわずか10歳で自刃し、ここで関東の足利公方が滅亡しました。

 

 

報国寺には多数の小型の五輪塔などもあります。新田義貞が稲村ヶ崎を越えて鎌倉攻め入った際の、北条・新田両軍の戦死者の石塔が集められているそうです。

 

 

報国寺の山門を出て左側に「田楽辻子のみち」という小路があります。金沢街道(六浦路)に沿って、大御堂橋から釈迦堂口切通しと報国寺のある詫間谷戸あたりをたどる長い路とのことで、一度歩いてみたいと思います。*大御堂橋は金沢街道沿いの「岐れ道」バス停下車

🚌鎌倉駅から京浜急行バス(太刀洗行または金沢八景行またはハイランド行)約10分「浄明寺」下車徒歩1分