ドーラの撮れたDay

漫画や小説の聖地巡礼と街歩きが大好きで、素敵な出会いを楽しみながら写真で綴っています。

京都/声明が響く大原の寺

🍂三千院の参道

大原は三千院と寂光院は訪れたことがありましたので、今回は他の所を観光することにしました。日本音楽の元祖といわれる「声明」にも少し興味があり、それも意識しつつ。。。。

 

 

大原の里もまもなく紅葉の季節を迎えます。盆地のため昼夜の寒暖差が大きいので野菜の甘みが増し、大原の野菜は京都の著名な割烹やレストランで使われているそうです。

 

菜種の畑です。春になるとまっ黄色に埋め尽くされるのでしょうね。

 

 

大原女は頭に柴を乗せて、京の町へ行商に出かけた大原の女性のことです。大原女の小径は寂光院から三千院・勝林院を結ぶルートで、ところどころに大原女の石像が置かれています。24体あるとのことで、石像めぐりも愉しそう。

 

 

三千院の参道に入ってすぐのところにある「呂川茶屋」さんの店先。紫蘇ソフトクリームや焼きだんごも売られていました。

 

朝採りのゆずです。

 

 

 

この階段を上り少し行くと、右側に三千院御殿門です。

 

🍂声明に触れた実光院

 

三千院御殿門の前を通り過ぎて、律川を渡るとほどなく左側に実光院がありました。実光院は、寂源が天台声明を伝承するために建立した勝林院の子院です。庭には約120種の山野草が植えられ、初めて見る花もいろいろありました。

 

 

客殿から契心園と旧理覚院庭園が眺められます。

 

 

契心園。律川の水が滝となって池に流れ込んでいます。

 

しだれて咲いているのは紀伊ジョウロウホトトギス。白い花はダイモンジソウ。

 

僧侶が声明を練習するために使う楽器で「磬石(けいせき)」といいます。声明とは、儀式などで僧侶が経典に旋律をつけて唱和する音楽です。

 

小さな槌で叩いて音を聞かせていただきましたが、鉄琴のような涼やかな音でした。

 

こちらは「編鐘(へんしょう)」という16音階の鐘です。中国の雅楽で用いられた音律の基準音を決める楽器だそうです(復元品)。

 

🍂実光院の秋の花々

 

旧理覚院庭園の奥にある古いモミジの木の下は、ホトトギスがそろそろ見頃でした。

 

 

 

ホトトギスという名称は、鳥のホトトギスの胸の模様に似ていることから名付けられたそうです。

 

ダイモンジソウ。「大」という字に見えますね。

コムラサキもみっしりと実をつけています。

 

 

外国の方たちも苔に魅入られたのか、この前で記念写真を撮っていらっしゃいました。

 

 

お坊さんたちの読経は「歌のようだ」と思っていましたが、練習のために使う楽器があることを初めて知りました。大原の里に声明が響いたことでしょう。

声明の世界を覗いてみませんか? - 文化庁広報誌 ぶんかる

 

🍂大原問答が行われた勝林院

実光院を出てすぐ左の路を行くと、ひろびろとした勝林院につきあたります。

勝林院は1013年に寂源上人が天台声明の道場として開いた寺です。実光院や宝泉院は子院にあたりそちらにも声明を練習するための楽器がありました。

 

 

勝林院は、顕真と法然が浄土念仏について論議した「大原問答」の寺として知られています。

 

 

本堂は数多の火災や洪水により破損し、修復再建されてきました。現在のお堂は1778年に再建されています。柱、梁など軸組、床板などのすべてが欅造り(けやきづくり)とのことで、立派でした。

🍂天台声明のもう一つの中心地・来迎院

三千院門跡の石碑のところを三千院御殿門の方向に曲がらず、そのまま呂川に沿って上っていったところに来迎院があります。

来迎院は、勝林寺とともに天台声明の中心地といわれます。

 

 

来迎院は、851~854年に慈覚大師円仁によって創建され、天台声明の道場として栄えました。その後に衰退しましたが、1109年に良忍が来往し天台声明を統一して発展させました。

 

正面が本堂です。

 

 

石段の上に地蔵堂があり、さらにその奥には良忍上人の御廟があります。

 

 

鎌倉時代の石垣が残されていました。

 

 

小径の岩にどなたかが積んだ石がありました。祈りの形でしょうか。

 

大原の里の秋。♪京都、大原、三千院(女ひとりより)~のメロディーのように、ゆるやかな時が流れていました。