ドーラの撮れたDay

漫画や小説の聖地巡礼と街歩きが大好きで、素敵な出会いを楽しみながら写真で綴っています。

鎌倉五山文学の拠点、瑞泉寺

夏目漱石が『門』で円覚寺を描いたように、鎌倉には文化人とゆかりが深い寺が数多くあります。古くは、鎌倉時代末期から室町時代にかけて「五山文学」と呼ばれる漢詩文学が栄え、その拠点となったのが二階堂にある瑞泉寺でした。

瑞泉寺は中世を代表する禅僧であり作庭家・夢窓疎石(夢窓国師)が鎌倉時代に開いた寺です。

瑞泉寺名勝庭園と五山文学

 

大塔宮バス停から10分ほど静かな辺りを歩き、瑞泉寺山門に続く階段を登ります。舗装された緩やかな階段もありますが、せっかくなので苔の石段を。

 

瑞泉寺山門。

 

瑞泉寺本堂。境内は少し前の時期なら梅の花と水仙で鮮やかだったでしょう。

 

開山の夢窓国師(むそうこくし)は、後醍醐天皇や足利尊氏も深く帰依した、鎌倉〜南北朝期に臨済宗(りんざいしゅう)で重きをなした僧です。作庭にも才を発揮し、昭和45年に発掘、復元された仏殿背後の庭園は、夢窓国師の作として、国の名勝に指定されています。(瑞泉寺ウェブサイトより)

 

まずは、本堂の後ろにある名勝瑞泉寺庭園に。

 

 

天台山、錦屏山を背景にして広がる壮大な岩の壁に、息を呑みます!!何層にも重ねられた岩の質感や色に、気の遠くなるような時を感じました。

夢窓国師が手がけたこの庭園は、鎌倉石の岩盤に彫刻をほどこした、鎌倉ならではの手法によるものです。正面に彫られた大きな洞(天女洞)は水月観の道場で、東側には坐禅のための窟(坐禅窟・葆光窟)が彫られています。

夢窓国師はその後、京都の『天龍寺庭園』や『西芳寺庭園』も作庭しました。

 

 

天女洞の前には池が作られ、貯清池と名付けられました。

 

 

貯清池の西側には橋が架けられ、その橋を渡ると山を辿る路に通じます。橋を含めて十八曲りを登り切り山頂に着いたところにさらに庭園があり、徧界一覧亭という小亭があるとのこと。

 

 

徧界一覧亭では、五山文学の時代に禪僧達によってしばしば詩会が開かれ、文化サロンのような場所だったそうです。この険しい岩の路を登ったのでしょうか。

 

瑞泉寺と文化人たち

五山文学の伝統から瑞泉寺は文化人とのかかわりが深く、境内には石碑や歌碑がいくつもあるそうです

 


吉野秀雄歌碑「死をいとひ生をもおそれぬ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ」

 

吉田松陰留跡碑 1929年に建立された徳富蘇峰の筆によるもの

幕末の勤王派で吉田松陰の碑は、山門の横にあります。松陰の伯父にあたる瑞泉寺の住職の竹院和尚をたずねて、幾度か来たと言われます。1853年に浦賀でペリーの黒船を見たときも、翌年に黒船に乗り込んでアメリカに密航しようとしたときも、瑞泉寺を訪れたとのこと。山口県萩市の松下村塾には行ったことがありますが、鎌倉までの距離もアメリカまでの距離も、20代前半の松陰にとっては何ほどでもなかったのでしょうね。松陰を描いた司馬遼太郎『世に棲む日日』も読んでみようと思います。

 

🎈その他ゆかりのある文化人/大宅 壮一(評論家)/大佛 次郎(小説家)/川端 康成(小説家)/立原 正秋(小説家)/永井 龍男(小説家)/高浜 虚子(俳人)/久米 正雄(小説家)/梶山 季之(小説家)/吉野 秀雄(歌人)/久保田 万太郎(小説家・劇作家・俳人)/山崎 方代(歌人)

 

瑞泉寺の春の花

瑞泉寺は四季折々の花を楽しめます。ちょうど梅の花が咲き終わった頃でしたが、春の花々が見られました。ちょっとほわんとしたタッチの写真で。

 

 

 

 

 

 

 

 

寄り道に聞いた風の音

瑞泉寺から大塔宮バス停方面に歩き、さらに報国寺を回ったのですが、途中で遭遇した光景です。

 

 

風の音も古い大きな木々を通り抜けるときは、心地よい和音のようでした。

 

 

電気屋さんのユニークな看板。風くるまがいくつか付いていて、実際に回っていました。時計は妙な時刻を指しています。

 

 

お昼ご飯は鎌倉宮近くの「わらしべちょー茶」さんで。鎌倉は有名な飲食店が多いですがお値段もそれなりですが、お店の前にあったメニュー看板を見て即決。のれんのイラストも可愛かったので。

 

大正解でした!!豆腐ハンバーグ定食でごはんはコシヒカリに黒米入りです。美味しくて量もたっぷり。千円札でおつりが来ましたよ♬ 

店内は落ち着いた和風ですが、なんとピンクフロイドのLPジャケットが3枚も飾られていました。お店のご主人の趣味とのことで、きっと50年くらい前の来日ライブに行かれたのね!今度は忙しくない時間帯におじゃまして、お話を聞いてみようかしら。

🚌鎌倉駅から京急バス。大塔宮行き 大塔宮下車 徒歩10分