ドーラの撮れたDay

漫画や小説の聖地巡礼と街歩きが大好きで、素敵な出会いを楽しみながら写真で綴っています。

京都の名残紅葉3・下鴨神社

京都旅行3日目は、下鴨神社と河合神社へ。

今の時勢からか鴨長明の『方丈記』が急に気になり、長明ゆかりの神社を訪ねようと思い立ちました。下鴨神社は鴨川と高野川の合流地にまつられており、長明にとって川の流れは身近なことだったのでしょう。

行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらずー

京阪出町柳駅から、世界文化遺産の糺の森を通り、下鴨神社へ。ここの紅葉は京都でも遅い方で、馬場はフリーマーケットで賑わっていました。

 

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下鴨神社

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参道の鳥居をくぐると、高さ13mもの桜門。周辺はすでに人がいっぱいで、結婚式の記念撮影をしている方たちも🎉

 

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御手洗池周辺から桜門方向を望みます。

 

御手洗池を越えて、本宮の裏側にあたる「浦の回廊」という路に入りました。

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「うら」とは外から見えないものの意味があり、古い時代には神様の意味でも使われたそうです。『浦の回廊』はかつて「四方様」と称して本殿を四方から拝むために渡ったとのこと。

回廊をさらに進んで『大炊飯(おおいどの)』へ。「神饌(お供え)の煮炊き、調理をする台所にあたります。

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『大炊飯』入り口の土間に竈(おくどさん)があり、中の間は、お供えの材料や用具など、奥の間は神前へお供えの盛り付けをする配膳棚などが設けられていました。今は使われておらず、期間限定で公開されています。

 

糺の森(ただすのもり)

世界文化遺産『糺の森』は、太古の原生林の植生を残す貴重な森林です。

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森の声が聞こえてくるようです。

「糺(だたす)」という言葉は、あまり聞き慣れないですが、神社の資料によると、いくつかの語源があるとのこと。

①鴨川と高野川の合流点が「只州(ただす)」と呼ばれることから。②清らかな泉が絶えず湧き出る「直州(ただす)」に由来する。③御祭神の「多多須玉依姫命(たたすたまひめよりのみこと)」に基づく。④神様の前で偽りを糺す、という説。

 

河合神社・鴨長明の方丈

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河合神社は『糺の森』の南端にある下鴨神社の第一摂社です。(摂社とは、本社に付属し、その祭神と縁故の深い神をまつった神社)

f:id:dolasnap:20220101223356j:plain河合神社の御祭神は下鴨神社とは別の「玉依姫命」で、美人祈願・縁結び・安産・長寿など、女性守護の神様として信仰されています。

絵馬も手鏡の形になっており、ここに"理想の自分の顔”を描いて奉納します。”理想”を描くというのが、なかなかツボですね。みんなの願いが叶いますように✨

 

鴨長明の方丈庵(複製)

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河合神社境内には、鴨長明(1155~1216)の方丈庵の複製が設置されています。一丈(3メートル)四方の簡素な庵でした。

長明は下鴨神社最高位の神官の子として生まれ、若い頃から神職をめざしつつ宮廷歌人として活躍していました。しかし、父の死後、禰宜の後任争いに敗れて出世の道を絶たれ、50歳で出家して各地に方丈庵を構え隠遁生活を送りました。

長明が生きた平安末期から鎌倉の時代は戦さや露骨な権力闘争が続き、追い打ちをかけるように大地震や水害などの大規模な自然災害が頻発したようです。

土地も人々も疲弊しているのを目の当たりにして、無常観がより深まったのでしょう。

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学生の頃は、文学史として「鴨長明ー和歌と方丈記ー無常」を覚える程度でした。

それがここ数年、百姓一揆に興味を持ってから、気候変動が歴史に及ぼした影響が気になっています。『方丈記』には、厄災が生々しく記されていました。

・安元の大火・・・安元3年(1177年)樋口富小路(現万寿寺通・富小路附近)から出火。南東の風にあおられて,西北方面に扇状に延焼した大火。
・治承の辻風・・・治承4(1180)年に京都を襲った竜巻と思われる旋風。中御門から六条大路までの約2kmに渡る。
・福原遷都・・・自然災害ではないが大きな混乱となった。1180年6月に平清盛が京都から福原(現神戸市)に都を移す。源氏の挙兵や寺院勢力の圧迫を避けるのが狙いだったが、造営も進まないうち11月再び京都に都を戻した。
・養和の飢饉・・・養和元年(1181)年に発生した大飢饉。源氏・平氏による治承・寿永の乱の最中に発生。
・元暦の大地震・・・元暦 2年 (1185年)壇ノ浦の戦いの約4ヶ月後に発生し、特に京都周辺の被害が大きかったらしい。

 

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おつかれさまでした。『鬼滅の刃』の兄と妹に見えなくもないかな。。

<旅程メモ:3日目>

2021年12月4日 京阪出町柳駅→糺の森→下鴨神社→糺の森→河合神社→帰路

途中『『旧三井家下鴨邸宅』を見学。下鴨神社休憩処でおしるこをいただく。