つい最近、公園でからたちの木を見てから、北原白秋作詞・山田耕筰作曲の「からたちの花」を思い出し、懐かしさに浸っています。白秋のことを調べているうちに、小田原に「からたちの花の小径」があることが分かり、行ってきました。
「からたちの花の小径」にたどり着くまで
北原白秋は1918(大正7)年から1933(大正15年)までの8年余りを小田原で過ごし、市内を散策しながら多くの童謡を創作したそうです。
白秋の童謡にちなみ、小田原駅西口と小田原文学館別館 白秋童謡館(小田原文学館)を結ぶ約4㎞が「白秋童謡の散歩道」として整備されているとのこと。
小田原市のネットで地図は入手できましたが、SNSでも最新情報がわからなかったので小田原城の二の丸観光案内所でお話を伺いました。このごろは小径を訪れる観光客が少ないようで、からたちの垣根が続く小径をイメージしていたのですが、今は数本しか残っていないそう!童謡の歌碑はあるのですが。。。ガイドさんが地図上にからたちの場所を記してくださり出発できました。
小田原城の二の丸観光案内所 ガイドさんたちが待機されているので、日々の情報に詳しいです。
モデルコースは小田原駅西口ですが、二の丸観光案内所から最短のルートで【小田原城→小田原競輪場→相洋中高校→蓮船寺→城南中学校】を目印に山を登りました。
小田原競輪場を過ぎる辺りから、眺めは抜群ですがかなり坂が急になります。
北原白秋と山田耕筰は一緒に散歩したのでしょうか。2人による♪「この道」は、白秋が晩年に旅行した北海道と、母の実家である熊本県南関町から柳川までの道の情景を読んだ作品です。
城南中学校の横を通り過ぎたところに歌碑がありました。いよいよシンボルのからたちの木に。
からたちの花言葉は「思い出」
たくさん実がなってる!!小田原に来た甲斐がありました。
♪まろいまろい金の玉だよ~ 「まろい」は丸い・円いと書きますが穏やかさのこもった言葉ですね。
シンボルの木には、名札がついていました。険しい崖地で枯れ枝もたくさんありましたが、どなたかのお世話のおかげで今年も実っているのですね。
♪からたちのトゲはいたいよ~ 夏に青々としていたトゲも秋になると茶色になり、実の金色を際立たせています。からたちはこのトゲの鋭さから防犯のために農家や畑の垣根として植えられていましたが、職人さんたちでもトゲでケガをすることがあり、だんだん少なくなったのだそうです。
こちらの垣根はからたちではなく、お茶の木のようでした。
♪からたちのそばで泣いたよ みんなみんなやさしかったよ♪ 白秋の「からたちの花」の一節ですが、なんともグッとくる歌詞です。この歌詞のモチーフは作曲者の山田耕筰だといわれます。耕筰は10歳の時に実父を亡くし、彼は昼は工場で働き、夜は学校という生活を送った時期があったそうです。工場で職工に足蹴にされ、垣根の陰で泣いていたところ、畑にいたおばさんたちに優しくしてもらったのでしょう。辛い気持とあたたかい気持の入り交じった「思い出」が共感を呼び起こします。
垣根のある小径は、私が子どもの頃も至るところにありました。からたちは見たことがなく、お茶の木の垣根が思い出に残っています。
まだ幼稚園に入る前、大家さんの垣根の茶摘みを手伝った母について行き、高熱を出してしまったことがあります。一緒に茶摘みをしていたおばさんたちが、私をかかえて病院に駆け込んでくださったとのこと。赤痢とわかり、そのまま病院に隔離されました。母は地元の人間ではなく若かったので、そのときの助けがどんなに心強かったかと。
母が亡くなる前に、もっと思い出ばなしを聞いておけばよかった。。。
からたちの木の周辺
水之尾道の高台から。白秋はここからの眺めを気に入っていたそうです。みかんがまだ青いですが、元気よく実っています。眼下に小田原の街と海。
農林水産大臣賞受賞の「被覆茶(かぶせ茶)栽培モデル園」。広いお茶畑をみるのは久しぶり
野草のブーケですね!
≪小田原城跡 小峰御鐘ノ台大堀切西堀≫ 小田原北条氏が豊臣秀吉との合戦に備えて築いた空堀と土塁の跡。小田原城と城下を囲う周囲約9kmにも及ぶ大規模なものだったそうです。
登ってきた道を小田原城方面に戻ります。正面に見えるのは小田原競輪場
昭和24年に竣工した小田原競輪場は施設の老朽化が進み、2024年10月から1年間の改修工事が始まりました。戦国バンク!競輪もアニメチックな打ち出しなんですね。
小田原文学館・白秋童謡館へ
からたちの木のあたりから徒歩40分くらいで、小田原文学館に着きました。文学館の本館と別館は旧土佐藩士の政治家田中光顕の別邸として建築されたものです。
≪小田原文学館≫本館 1937(昭和12)年に建てられたスペイン風の洋館で、昭和初期のモダニズム建築の特徴をよく表しているそうです。
≪白秋童謡館≫となっている別館は1924(大正13)年に建てられた楼閣風の建築です。
玄関の破風板には懸魚(げぎょ)が付けられています。懸魚とは神社やお寺の屋根の破風板部分に取り付けられた妻飾りのことで、火災よけの意味があります。
≪尾崎一雄邸書斎≫ 尾崎一雄は三重県で生まれましたが、先祖代々が小田原市にある曽我神社の神官だったため小学校から小田原市に移りました。小田原市内曽我谷津にあった尾崎邸「冬眠居」の書斎が移築されています。書斎の中には病弱だった尾崎がくつろいでいたという「腰掛け出窓」も。
尾崎一雄邸書斎の庭に、からたちの木が大きく育っていました。
≪赤い鳥小鳥≫童謡碑
小田原文学館から小田原駅までは徒歩20分ですが、バス停「箱根口」までは5分。少し疲れたので、バスで小田原駅に帰ることに。箱根方面の山の端が赤く染まりはじめていました。
小田原は箱根や伊豆に行くときに通りますが、小田原城のほかにはあまり知りませんでした。まさか山に登るとは!
でも「からたちの木」を見ることができて、ほんとうに良かった!からたちの白い花が咲いたら、また訪れましょう。
ボニージャックスの唱う「からたちの木」。しずかなアカペラにしみじみします。