ドーラの撮れたDay

漫画や小説の聖地巡礼と街歩きが大好きで、素敵な出会いを楽しみながら写真で綴っています。

のさりの島・天草バス旅3

天草バス旅3日目:崎津再び

🎬映画『のさりの島』では、青年がお婆さんの古いアルバムを観て、バスに乗って崎津おに行くシーンがあります。

前日に周遊バスで訪れましたが、ゆっくり崎津集落で過ごしたいと思い、本渡から路線バスで再訪しました。

崎津教会までの道のり

★行き『本渡バスセンター(9:15)→🚌→下田温泉(9:59) 下田温泉(10:05)→🚌→崎津(10:50)』

★帰り『崎津教会入口(14:55)→🚌→下田温泉(15:39)下田温泉(15:45)→🚌→本渡バスセンター(16:29)

本渡から崎津集落までは路線バスの便数が少なく、乗り継ぎもあるので、1本逃したらたいへん!

本渡バスセンターから路線バスの旅に出発。

 

バス停「崎津」で下車。道の駅は「かかしの里」のかかしがお出迎えです。物産は少なめですが、ガイダンスセンターが設置され、崎津集落の紹介映像も観られたので知識収集に役立ちました。ここから協会のある地域まで徒歩10分。

 

道の駅から崎津集落をのぞみます。日本家屋の中に尖塔が見えますが、その建物が崎津教会です。

📂前日の世界遺産めぐりで教えていただきましたが。2018年7月に世界遺産登録されたのは『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』全体です。崎津教会だけが世界遺産ということではないそうです。

⛪世界遺産の公式サイトはこちら。

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター

 

📂潜伏キリシタンとは、いわゆる隠れキリシタンのことです。

「﨑津集落」は天草諸島の南西に位置しているので。キリスト教伝来期には布教の拠点となりました。天草の中でも「島原・天草一揆」に参加したのは北部の人々が多く、南部にある崎津のキリシタンは一揆に参加しなかったので生きのびられたとのこと。とはいえキリスト教禁制の時代となって弾圧を受け、仏教、神道、キリスト教と共存しながら、ひそかに信仰が継承されました。それが世界遺産として評価されています。

 

崎津の産業は漁業が中心。海を眺めながら教会の方向に歩いて行きます。

 

新鮮な魚を干物に。

 

水産業の「羊角水産」の店舗。ここにも鯉のぼりが並んでいました。

崎津の湾は羊の角のような形から「羊角湾」と呼ばれます。こちらの業者さんの名称は、それにちなんだものでしょう🐑

 

花壇に飾られている貝がらは、天草の苓北町の名産「ヒオウギ貝」。カラフルな貝殻で「虹色貝」とも呼ばれるそうです。ちょっとした所に彩りとして飾られていました。🌺

 
崎津教会

 

崎津集落のシンボル、「海の天主堂」ともいわれる「崎津教会」です。

映画では、小さかった頃の孫・しょーちゃんとお婆さんの記念写真が出てきました。その写真を観て、青年も崎津教会を訪れます。

崎津教会を横からみたところ。ゴシック様式ですが、灰色の部分はコンクリート、白い部分は木造に別れています。これは建設資金が足りなくて全部をコンリートにできなかったからと言われ、苦労や工夫の跡がうかがえるところです。教会の中も、珍しく畳敷きになっていました。(教会の中は撮影禁止)

 

教会の尖塔が、小さな集落に包まれるようでした。

 

マリア像が立つ日本家屋は「木造崎津教会跡」。1888年にキリスト教が解禁された後、崎津諏訪神社の隣に教会が作られました。現在のゴシック式教会が立つ前の崎津教会跡です。今残っている建物は、1957年にシスターの宿舎として建てられたものとか。

崎津資料館みなと屋

崎津教会のすぐ近くにある「崎津資料館みなと屋」。キリスト教布教期から潜伏期の貴重な資料が展示されています。建物は昭和初期の旅館を改装したもの。

 

昭和初期に崎津教会周辺のジオラマ。奥の小高いところに崎津諏訪神社があります。

 

祈りを捧げるときに使う信心具で、内側の模様を聖母マリアに見立てたアワビ貝。心の中に聖母マリアを描いていれば見えるのかもしれないですね。

 

潜伏キリシタンが信仰を守るために用いたとされる、45・5センチの石像「「ウマンテラさま」。背中には翼、長い剣のようなものを持ち、足元にはサタンの顔を踏みつけている姿から、日本では珍しい大天使ミカエルの像と考えられるそうです。

大天使ミカエルの石像?「ウマンテラさま」展示中 潜伏キリシタンの信仰のよすが - クリプレ

崎津諏訪神社

崎津諏訪神社の入口です。

 

📂江戸時代初期(1637~1638年)の天草・島原一揆以降、キリスト教は禁教として取締が厳しくなり、潜伏キリシタンはこの神社の氏子となって密かにオラショ(お祈り)を唱えながら信仰を続けていました。

📂しかし、1805(文化2)年に潜伏キリシタンが次々と検挙され、全住民の半分にも及ぶ5,000人もの人がキリシタンであることが発覚します。いわゆる「天草崩れ」と呼ばれる事件です。幕府は信心具を差し出させることで見逃すことにしましたが、差し出す場所として、この崎津諏訪神社が指定されたそうです。

富津血税一揆の記念碑

崎津諏訪神社の境内にある「富津血税運動記念塔」。

📂「富津」とは今富と崎津のことで、「血税運動」は「血税一揆」とも呼ばれるそうです。血税一揆?はじめて聞いた言葉ですが。。。調べてみたら、興味深い歴史がありました。

👉血税一揆は、1868年(明治6年)、明治新政府が施行した徴兵令に反対して日本の士族や農民の間に起こった運動でした。働き手である男性を兵にとられては、農業がなりたちません。

👉📝徴兵だけでなく新政府の打ち出す政策への不満が高まっていた折、徴兵令の文に使われていた「血税」という言葉が「血を抜かれる」と誤解され、反対運動に拍車をかけたといわれます。

玄関のしめ飾りの謎

お正月は半年前に過ぎているのに、玄関にしめ飾りをしている家が何軒もありました。

これはキリスト教の弾圧が厳しかった時代に、神道で使うしめ縄を「キリシタンではなく、神道です」と示すために飾っていたという説と「キリシタンを隠すため」に飾っていたという説があるとのこと。それが一年を通して飾る風習になったようです。

本渡でも見かけましたが、しめ縄のデザインはさまざまでした。

イオン天草店の入口にも飾られていて、ちょっとビックリしたのですが、地域の風習として根付いているのかもしれません。

崎津ならではの光景

「トウヤ」と呼ばれ、家と家の間を通る幅90センチほどの小路です。海に出るためや生活の交流になどに使われ、数軒ごとに小路が通っています。これも狭い土地で暮らす工夫です。

トウヤをまっすぐ進むと、いきなり海に行き着きました。

「カケ」。海に面した家々かた張り出したテラスのような構造物。魚の干物づくりや船の係留などに使われています。狭い土地で生活するための工夫ですね。

海側から観たカケ。

キリシタンの墓石が見える墓地。

崎津の美味しいお店

崎津資料みなと屋の向かいで海産物を売っていました。昔は漁師さんのお宅だったそうです。おかあさんのセールストークが楽しくて「あおさ」を購入しました。

 

崎津教会前の小路を進んだところにある「南風屋」。ハイヤというのは、九州地方での南風の呼び方だそうです。杉ようかんといちじくジャムが有名なお店です。

 

『宮下商店』。お土産も雑貨もいろいろ売っているお店。崎津集落は大手コンビニがなく観光客にとってもありがたい。

「杉ようかん」あんこを包んだうるち米の餅に、ドラゴンフルーツの果汁でピンク色の線が引かれています。琉球使節から伝わった伝統菓子で、杉の葉が付いているのは防腐剤効果があるためです

 

ランチはイタリアンのお店『シンフォニー』で。平日のためか食事ができそうな所は、ここしかなかったのですが、美味しい!!神様に感謝したくなりました😊

天草の海の幸がたっぷりの「崎津ペスカトーレ」。出前もしているそうで、地元のお年寄りにも喜ばれているそうです。

崎津観光の締めくくりに

映画は、青年が崎津港で漁船にのせてもらい、岬に立つマリア像を観るところで終わりました。

私も崎津観光の最後にマリア像に祈りを、と思って草漁協崎津支所の展望デッキに上がりました。小さい像で写真はうまく撮れませんでしたが、夕方の絶景はいつかぜひ!

 

本渡港フェリーターミナル付近

崎津から本渡バスターミナルに16時半ころ戻り、まだ時間があったので本渡港に行ってみました。

映画『のさりの島』の最初に青年がフェリーで島に入ったのは、本渡港ではなく鬼池港でしたが。。。

 

映画に出てきた「みつばちラジオ」は、本渡港の近くにありました。

天草地魚料理いけすやまもと

夕食は予約しておいた天草で有名な地魚料理店「いけすやまもと」へ。

1週間前に予約。平日でも夜は予約がないと入れないようです。

くまもんが浮かぶいけすの前のカウンター席を予約ておきました。3~5月の間だけ食べられるムラサキウが甘~い。豪華な紫うに御前(6500円)をいただきました。熊本県の旅行支援クーポンのおかげです。

 

天草近海には栄養たっぷりの海藻があり、それをウニがえさとして食べているので、美味しいウニが育つのだそうです。うに飯、最高!!

 

おなかいっぱい。徒歩でホテルサンロードまで。


→のさりの島・天草のバス旅4につづきます。