ドーラの撮れたDay

漫画や小説の聖地巡礼と街歩きが大好きで、素敵な出会いを楽しみながら写真で綴っています。

東京国立博物館『国宝』展へ

トーハクは150年の歴史

東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」へ。

「どういうものが国宝なのか」を感じる機会となりました。

トーハクが所蔵する89点もの国宝の一挙公開(入替えあり)。絵画、書、漆工、仏像など分野も幅広く、トーハクの150年をたどる重要文化財も多数展示されました。

どれもこれも凄い!

檜図屏風

楽しみだった長谷川等伯作≪松林図屏風≫は入替えのため観られませんでしたが、狩野永徳作の≪檜図屏風≫は大迫力。

巨木の檜ががっしりと根を張り枝を伸ばし、いかにも世界を総べるようでした。信長、秀吉と天下人に好まれた絵師だったことに頷きます。

地獄草子

話題の≪地獄草紙≫は、血の海や炎の赤が地獄の恐ろしさを象徴していました。

≪地獄草紙≫は平安末期に流行した六道思想の基づくもので、六道とは人が亡くなると、生前の業因によって転生する6つの世界。天上・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄に分かれ、地獄は最も苦しみの多い世界だそうです。

「むかし人間だったころ、殺傷、盗み、邪淫にふけり、あるいは、心を惑わして気を失わせる酒を使って、荒野を旅する人にそれをやって飲ませ、飲んで酔って倒れたその隙をうかがって、旅人の持つ金目のものぜんぶ盗んだり、あるいは殺してしまうような者が、この地獄に堕ちる」詞書より

「こういうことをすると地獄に落ちる」という戒めでしょうが、痛いとか熱いというよりも、人間が人間であることを踏みにじられる世界だと思いました。

八橋蒔絵螺鈿硯箱

尾形光琳作の≪八橋蒔絵螺鈿硯箱≫は、出会えたことに感謝したくなる名作でした。

『伊勢物語』に取材したもので、カキツバタと板橋が描かれています。水辺で柔らかい風にそよぐ花と、そこを横断する鉛の太い橋の組み合わせがモダン。

展示では見えませんでしたが、硯箱の蓋を開けると内側の絵柄は流れる水だそうです。橋の下には川が流れているというデザイン!風の音、水の音まで聞こえてきて、金属の橋が昔と今をつないでくれました。

刀剣
刀剣展はよく観ていますが、今回のトーハクはライティングが抜群に良く、刃文が美しく映えていました。刀剣の点数も多く、時代の違いによる機能もうかがえました。
≪三日月宗近≫はまず全体のフォルムが優雅で美しい✨ 刃文の三日月模様にも、何か神様が宿るような気がします。平安時代に打たれ、時の権力者たちに宝剣として愛でられてきましたが、古疵が1つあるとか。実戦で使われたのかもしれないですね。
新収蔵の金剛力士立像

金剛力士像はもともとは滋賀県の寺に置かれていたのですが、昭和9年の台風でバラバラに壊れてしまい、それを修復しながらトーハクの所蔵となったものです。

展覧会図録の解説によると、仏像は社寺からの寄託を受けて展示されているものが多く、時には返却を求められることもあるとか。仏像を国立博物館の所蔵とすることの意義は大きいそうです。

 

国宝展は大人気

チケットは時間予約制でしたが、発売と同時に売り切れる人気ぶり。私は追加の夜間延長枠でやっと入れました。
会場内もかなり混雑していたので、普段の定期展示でゆっくち観たいと思っています。

 

物販はいろいろありましたが、図録3000円はお買い得でしたね😊

国宝から感じた豊かさ

法律上の国宝とは「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」(文化財保護法第27条)となっています。

学術的な意味合いの定義ですが、私なりに実感したのはこのようなことでした。

今回、国宝と重要文化財をまとめて観ることができ、どれも精巧な技術に支えられていることは想像できました。その技がどれほどの鍛錬で生まれたのか、また使われている素材のバリエーションはどうやって実現したのかなどを漠然と考えていると、国宝には途方もない人の思いや時間が込められていると感じます。それがパワーとなって、いつの時代も観る人を捉えるのでしょう。

また、多くの国宝には、繊細なミクロの世界と悠久の宇宙のようなマクロの世界が備わっているとも思いました。たとえば、光琳作の≪八橋蒔絵螺鈿硯箱≫は自然界の真理を詰めた玉手箱のようでした。
「そうしたことを味わえるのはなんと豊かなことか」と思いを新たにしました!!