アンネ・フランクの形見とも言われる、≪アンネのバラ≫を初めて観ました
ホロコーストを生き延びたアンネの父オットー氏がかつての隠れ家に咲いていたバラをもとに園芸家に依頼し、平和への願いを込めて作られた新種だそうです。
このバラは花の色がしだいに変わり、つぼみのときは深紅、開花すると黄色やオレンジ色、散り際はピンクになります。開花したはずの少女の多様な可能性と、それらが戦争で奪われてしまった無念さを思いました。
『アンネの日記』が今なお世界中の読者を惹きつけるのは、戦争の被害者というだけでなく、日記の中に思春期の少女の生き生きした感性が溢れているからでしょう。
≪アンネのバラ≫はオットー氏を通じて日本にも伝わり、平和教育の一環として学校などで育てられています。
私が訪ねたのは横浜市青葉区寺家町にある「平和のバラ園」で、フリースクールを開くNPO法人のむぎ地域教育文化センターの方たちによる手作りの花園です。1998年、フリースクールで『アンネの日記』を学んでいた中学生たちが、兵庫県西宮市の「アンネのバラの教会」に願い出て苗を譲り受けたのが、≪アンネのバラ≫を育てるようになったきっかけとのこと。
「平和のバラ園」には他にも平和を祈るバラの≪ピース≫などが植えられ、広島市から寄贈された被爆樹木二世のアオギリも大きく育っていました。
被爆二世のアオギリです。親木は爆心地から1,3キロの距離にある旧広島逓信局の中庭で被爆しました。 翌年の春、枯れ木同然だった幹から再び芽吹き、人々に生きる勇気もたらしたといわれます。1973年に広島平和記念公園に移植され、広島市はその種から育てた苗木を、平和を愛する輪を広げようと日本全国や世界に贈り届けています。
私も平和記念公園に行ったとき被爆二世のアオギリの樹を観ましたが、身近な場所でも育てられいて感動しました。
1954年のビキニ水爆実験で被曝した第五福竜丸の乗組員、久保山愛吉さんと妻のすずさんが遺されたバラです。やっとつぼみが出たところですね。
≪ピース≫≪カズエ≫を説明する立て札。花開く時期に再訪したいと思います。
「平和のバラ園」は、「地家ふるさと村」のはずれに位置し、周囲はのどかな里が広がっています。ウォーキングの楽しみが、また増えました🚶♀️
*アクセス
神奈川県横浜市青葉区寺家町112
東名高速横浜青葉Ⅰ.Cから車で10分/小田急線「柿生」駅バス15分―市ヶ尾駅行き・早野下車徒歩5分/田園都市線「青葉台」駅バス15分―鴨志田団地行き―終点下車徒歩15分