「はじめての祇園祭2」から続きます
新町通の電柱すれすれに通る山鉾に思わず拍手
御池通に近い新町通で少し空いていたスポットを見つけ、山鉾がやってくるのを待ちました。強い陽射しが照りつけましたが日傘は路が狭いのでNG。他の皆さんもタオルを被ったりされてました。
11:55≪長刀鉾≫ 前祭・山鉾巡行の先頭の長刀鉾が終着点を経て、新町通から四条通に抜けるところです。四条烏丸の出発を観られなかったので、何としてもここで姿をキャッチ!!
11:56≪長刀鉾≫ 細い通りを鉾が曳かれてきます。警備の方たちが「白線から出ないで」などとしきりにアナウンスしていましたが、目の前を過ぎるのでとても納得。曳き手はおそろいのバッグをナナメ掛け。
11:57≪長刀鉾≫ いよいよ鉾が近づいてきました。長刀鉾には(人形ではなく実際の子どもの)稚児と2人の禿が乗り込んでいましたが、御池通新町で鉾から降り、八坂神社の儀式へと向ったそうです。
11:57≪長刀鉾≫ 見送は中国の明時代の雲龍波濤文様綴織(復元)です。
11:57≪長刀鉾≫ 通りの両脇に電柱があり、そこを通り抜ける瞬間です。屋根の上に乗る屋根方が足で電柱との距離をぐ~っととり操っていました。みんなハラハラと息を吞んで観ていましたが、通り抜けると大拍手👏 長刀鉾の辻回しは観られなかったですが、さぞダイナミックでしょうね🎋
11:59≪油天神山≫ 油小路にある天神が名の由来です。山は正面に朱の鳥居を立て、朱塗りの社殿には天神像を祀っています。
11:59≪白楽天山≫ 唐の詩人白楽天が道林禅師の問答場面を表した山。白楽天は白地狩衣で、写真では見えにくいですが道林禅師は紫衣の衣裳です。 前掛は古代ギリシアの叙事詩「イーリアス」の一場面で、荷物を担ぐ戦士などが描かれてたタペストリー。
12:05≪白楽天山≫ 見送は染織作家山鹿清華による「北京万寿山図」です。通りに面した京町家の2階から鑑賞する人たちも。
帯に山鉾,ちまき,車輪の刺繍や染め。前を歩く男性の帯も西陣織でしょうか。素敵なお召し物の見物客もいらして、目が忙しい👘
13:03 ≪占出山(うらでやま)≫ 水引は刺繍で36歌仙が描かれています。前懸は宮島、右側の胴懸が天橋立、左側の胴懸が松島と日本三景が描かれた綴織です。
13:15 前祭の山鉾巡行の最後を務める船鉾も戻ってきました。それぞれの山鉾は鉾町で解体収納され、1〜2日の間にすべて姿を消します。
夢の続きへ~前祭の山鉾解体(18日)
山鉾巡行の翌朝18日。宵山で行った杉本家住宅の横の露地を入ると静かな京の町に。
突き当たりにある京町家のカフェで朝ご飯を!と思ったのですが開店前でした。ちょっと心残りだわ~🍵
四条通の≪月鉾≫の解体作業 装飾をすっかり外し、手際よく解体が進められます。
山鉾は釘を1本も使わず、荒縄(あらなわ)などによる縄絡み(なわがらみ)と言われる伝統技法で組み立てられるそうです。
近くの運搬用車まで運んで搬出
すぐに後祭の鉾建てが始まる(18日)
後祭の山鉾建ては7月18日から21日の間に行われます。
9:20 四条通を曲がり新町通を綾小路方向に向かったところで、≪大船鉾≫の鉾建てが始まっていました。戦に勝って凱旋する船を表し、山鉾巡行の締めを務めます。
≪大船鉾≫は全長7.47m、高さは6.25mとかなり大きいです。ここから人の手で組み立げられるのですね。
≪大船鉾≫槌で叩いて、パーツを合わせているようです。
全部建てられるまで見学したかったですが、時間の都合でここまでに。
やはり八坂神社に行かなくては
来祇園祭は八坂神社の祭礼です。貞観年中(859~877)京の都に疫病が流行したとき、勅を奉じて66本の矛を立て洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑に送って厄災の除去を祈ったのに由し、平安時代の中頃からは規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽等も加わって盛んな賑わいを見せてきました。(八坂神社ウェブサイトより)
祇園祭に来からには、八坂神社にお参りしたい。ということでカンカン照りの中、向かいました。いつ来ても外国人でいっぱいですが、さすがに暑すぎたのか混み具合もほどほどでした。
四条通の商店街もお祭りモードで。
四条通にある老舗和菓子店の「鍵善良房四条本店」。夏仕様のブルーのれんがいかにも老舗の心遣い。このお店の赤のれんは一澤信三郎帆布が手がけているので、おそらく同じかも。次の機会には、お店の中でお菓子をいただきたいな。
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はじめての祇園祭は宵山から山鉾巡行、少しだけですが鉾建てと盛りだくさんで楽しみました。山鉾の装飾や浴衣にいたるまで、京都文化がいかに奥深いかを感じます。今回訪れてみて、それぞれの山鉾の意味や美術、ちまき、お囃子など知りたいことがいろいろできましたので、またいずれ。
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