ドーラの撮れたDay

漫画や小説の聖地巡礼と街歩きが大好きで、素敵な出会いを楽しみながら写真で綴っています。

京都夏旅3・秀吉の醍醐寺

京都夏旅3日目は、京都盆地の東に広がる山科盆地にある醍醐寺へ。地下鉄東西線で醍醐駅に行き、そこから歩きました。京都駅から直通バスがあるようですが。

醍醐寺は醍醐山全体という広大な寺域をもち、下醍醐と上醍醐があるのですね。今回は本尊「薬師如来坐像」が安置された金堂や、豊臣秀吉の「醍醐の花見」で有名な三宝院がある下醍醐を訪れました🚶‍♀️🚶‍♀️

醍醐寺総門。

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📝醍醐寺伽藍

西大門(仁王門)。豊臣秀頼が慶長10年(1605年)に再建したもの。

 

西大門をくぐると壮大な伽藍が広がります。醍醐寺の中心となる本尊「薬師如来坐像」が安置された金堂。

醍醐天皇の御願で延長4年(926年)に釈迦堂として建立されましたが、鎌倉時代に焼失。現在の建物は、豊臣秀吉の命によって、1600年に紀州湯浅にあったお堂を移築したものだそうです。湯浅では平安時代末期(12世紀頃)に建てられたといわれます。

 

醍醐寺金堂。 多くの人の祈りが積み重なった長い年月を感じます。

 

醍醐寺 金堂

 

薬師如来は、人々を病気やいろいろな悩みから救ってくれるという仏様です。

 

五重塔が見えます。桜の季節はみごとな眺めでしょうね🌸

 

金堂の向かいに立つ国宝の五重塔。醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、天暦5年(951年)に完成しました。応仁の乱の戦火を免れ、京都市内に現存する最古の木造建造物です。

 

五重塔の後ろ側は青もみじで覆われていました。

 

日月門。この向こうは観音堂です。本来の西国三十三所第十一番札所だった上醍醐准胝堂が2008年の落雷で焼失してからは、観音堂に納経所が設営されています。

 

 

📝醍醐寺三宝院

秀吉は醍醐寺に700本もの桜を植え、盛大な宴を開きました。

三宝院は永久3年(1115年)に創建された本坊的な存在ですが、三宝院庭園は慶長3年(1598年)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭とのことです。

 

唐門。朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされます。豊臣秀吉の家紋(五七桐)と皇室の菊の御紋が輝いていました。2010年に修復。

東山魁夷の作品に≪三宝院唐門≫がありますが、描かれたのは1960年代。修復前の姿でしたので長い歴史を感じる渋い色合いになってます。

 

三宝院庭園。1598年に豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計したという庭です。寺の方にうかがったところ、仏教的な意味合いよりも秀吉の趣味の庭なのだそうです。池で舟あそびもしたとか。

 

庭園に面して建つ表書院のふすま絵。

表書院の内部は上段の間、中段の間、下段の間にわかれ、上段と中段は下段よりも高い位置にあります。この段はさらに有料ですが、内部のつくりも庭の見え方も下段とは全く違うので驚きました。必見だと思います。

 

表書院の違い棚で「醍醐棚」と呼ばれます。三宝院は桃山時代の書院造の代表例とされ、この棚は透かし彫りが独特。透かしを通す光が、美しい影をつくっています。ふすま絵は長谷川等伯一門の作。

ちなみに「天下の三棚」と賞されるのが、この「醍醐棚」と修学院離宮にある「霞棚」、桂離宮の「桂棚」だそうです。

 

醍醐の桜。季節ともなれば、昔も今も大勢の人が楽しまれるのでしょう。

しだれ桜の葉がみっしりと茂って重そうです。猛暑の中、がんばれ!!

 

📝台風被害からの復旧

醍醐寺は2018年の台風21号によって、大きな被害を受けました。強風による倒木も激しく、西大門周辺のこの辺りもかつては深い森だったようです。

復旧プロジェクトによって入山は可能になりましたが、これから徐々に再建が始まるのでしょう。

 

倒木の片付けが終わり、地に残る仏様。復旧を見守っておられるかのようでした。

醍醐寺は今回が初めてでした。広大な自然と歴史と文化が詰まっていて、観たいこと、知りたいことがいっぱい。また別の季節にも来てみましょう。

2022年の京都夏旅もここが最後。東西線で京都駅に戻り、新幹線で帰路へ。